クレイン・トータス新聞
トータス新聞1面記事
笑顔から繋がる支援
2020-05-01
風薫るさわやかな季節になりました。私は市原市地域包括支援センタートータス(以下、地域包括・トータス)に配属されて丸3年が過ぎました。
地域包括支援センターでは多岐にわたる支援を行っています。色々な方との出会いがありましたが、その中でも試行錯誤し特に印象深かった、ご利用者のお話しをしたいと思います。Aさん(66歳・男性)は、軽度の障がいがあります。笑顔が素敵で人懐っこさがあり、幼い頃から馴染みのある地域の方々の助けを借りて何とか生活していました。しかし、お酒が大好きなAさん。飲みすぎで肝臓を患い、その大好きなお酒を買うために年金をすべて費やし、お家の中も荒れていき、お薬もきちんと内服が出来ていない等問題は山積みでした。
地域包括・トータスが関わるようになったきっかけは、病院からの相談でした。入院中に初めてお会いしましたが、入院生活を楽しんでいる様子が伺え、病棟看護師や相談員に「あれがない。これがない。携帯電話の使い方がわからない。」と色々な相談をしていました。通院も予約日以外に、相談員や受付窓口でお話をして帰るということも多々ありながら、いざ予約日になると受診せずに病院側が心配するという出来事もあります。きちんと受診出来た日には看護師に「Aさん待っていたわよ。」と声をかけられ、本人は笑顔で「ごめんねー。バスの時間がさー。」と答えています。
生活を立て直すために、成年後見人制度や介護サービスの利用など、ここには書ききれないほどの思い出がありますが、その中でも特に印象に残っているのが、引っ越しを決めた時のことです。ある日、自宅で膝を負傷し、その傷口からばい菌が入り、手術が必要になるほど悪化してしまいました。主治医からは不衛生な環境も原因の一つであるとの話があり、本人や病院の相談員と話し合った結果、引っ越しをすることになりました。アパート暮らしを強く希望されたので、買い物が比較的簡単にできて、病院にも行きやすい場所を探しました。引っ越しは、地域包括・トータスの職員総出で荷造りから荷ほどきまで手伝いました。何十年も住んでいた家だったので、荷物がかなりの量でしたが本人は新居へ引っ越すのを楽しみしており、まるで宝探しをしているかのように荷造りをしていたのが印象に残っています。入居の時には、新しい家具を組み立てたり、家具の配置を考えたりと大変なこともありましたが、楽しみなことばかりのAさんは満面の笑みで入居の日を迎えました。
次に印象に残っていることは、新しい生活を安全、安心して送れるように、介護保険を利用することになった時のことです。居宅介護支援事業所のケアマネジャーにお願いし、訪問看護師、ヘルパーが介入することになりました。本人は女性が大好きで、頭の中の世界では支援者に配役がされています。訪問看護師には“奥さん”、ヘルパーには“奥さん2”“お姉ちゃん”、ケアマネジャーには“おっかさん”、私は“娘”だそうです。その話をいつも楽しそうに病院の看護師にお話ししています。この配役が良かったのか、本人の引っ越し後の生活は劇的に落ち着きました。一番驚いたのは大好きでずっとやめられなかったお酒を退院後一切飲まなくなったことです。本人を含めての支援者会議の時に禁酒をすることが退院の条件にしていたのが良かったのかわかりませんが、それでも新居に入居してからは一滴もお酒は飲まなくなりました。「みんなの前でお酒をやめるって約束しちゃったからもう俺は飲まない。」と言って今でも飲んでいません。また、内服薬管理と体調の確認を訪問看護師が行い、最初はきちんと内服できていなかったのが、今では空の薬袋を捨てずにお薬カレンダーに戻すこと、毎日決められた時間の体重測定もできるようになりました。そして家事全般をヘルパーと一緒に行うことによって、物が増えることもなく、栄養バランスも考えられた手作り料理を食べることができるようになりました。買い物はヘルパーとお話をしながら歩いて出掛けるのがとても楽しいようで「この前知り合いに「奥さんと一緒に買い物ですか」って話しかけられちゃったよ。」と笑顔で何度も報告してくれます。
介護サービス以外にも、地域で支えてくださっている担当の民生委員さんは、定期的に自宅訪問し話し相手になってくださいます。天気の良い日には近所を案内がてら散歩し、たわいのない話をする時間は慣れ親しんだ地域から引っ越してきたAさんにとっては心安らぐ時間を過ごしているようです。
そしてずっとAさんが希望していたことが「働きたい」ということでした。ただ、介護サービスでは就労サービスはないため、そこでも頭を悩ませました。年齢や身体状況を考えると一般就労は難しく、65歳以上ではありましたが、何とか障害サービスの利用ができないかと中核地域生活支援センターへ相談したところ、障害者支援課に掛け合ってくれ、就労継続支援B型事業という工賃が発生するサービスが使えるようになり、送迎付きで本人の希望でもあった外での作業を職員や他のご利用者と一緒にできるようになりました。利用当初は電話を掛けて朝の準備が出来ているか確認していましたが、1週間も経過すると本人から電話があり「もう起きて準備万端、今日も頑張ってくるねー。」と報告をしてくださるようになりました。帰宅すると「今日はみんなでゴミ拾いに出掛けてね、みんないい人なんだよ、○○さんは話が面白くてね、楽しいよ。」と1日あった出来事を楽しそうにお話してくださいます。今では、月曜日から金曜日まで楽しく通うことが出来ています。
楽しいことや上手くいったこと以上に、頭を抱え悩み、なかなか先に進まないことのほうが多いですが、そんな時でも、Aさんの笑顔と人柄に救われたところがたくさんあります。支援者側が提案することや、お願いすることに一度も拒否することなく「いいよー。」と二つ返事で了承してくれ、一生懸命努力してくださいます。常に試行錯誤しているため、時には上手くいかないこともありますが、それでも怒ることなく一緒に次の道へ進んでくれます。Aさんの周りにはいつも人が集まり笑顔が絶えません。Aさんの人柄や頑張りがあるからこそ、色々な人に支えられて今の生活が継続できている部分も大きい気がしています。
ここに書いたことは全てではなく、今でもAさんとの歩みは続いています。Aさんと接して学んだことは、一人で抱えようとせずに周りの助けを借りて一人の方の生活を支えることが出来るということです。Aさんにとって地域包括・トータスはなんでも話ができ親しみある場所になったようで、毎日かけてくる電話の最後の言葉は「トータスのみんなも風邪ひかないようにねー。」で締めくくられます。
私はまだまだ経験が浅く、センター長はじめ先輩方に日々相談し助けてもらいながらこれからも精進していきたいと思います。
地域包括支援センターでは多岐にわたる支援を行っています。色々な方との出会いがありましたが、その中でも試行錯誤し特に印象深かった、ご利用者のお話しをしたいと思います。Aさん(66歳・男性)は、軽度の障がいがあります。笑顔が素敵で人懐っこさがあり、幼い頃から馴染みのある地域の方々の助けを借りて何とか生活していました。しかし、お酒が大好きなAさん。飲みすぎで肝臓を患い、その大好きなお酒を買うために年金をすべて費やし、お家の中も荒れていき、お薬もきちんと内服が出来ていない等問題は山積みでした。
地域包括・トータスが関わるようになったきっかけは、病院からの相談でした。入院中に初めてお会いしましたが、入院生活を楽しんでいる様子が伺え、病棟看護師や相談員に「あれがない。これがない。携帯電話の使い方がわからない。」と色々な相談をしていました。通院も予約日以外に、相談員や受付窓口でお話をして帰るということも多々ありながら、いざ予約日になると受診せずに病院側が心配するという出来事もあります。きちんと受診出来た日には看護師に「Aさん待っていたわよ。」と声をかけられ、本人は笑顔で「ごめんねー。バスの時間がさー。」と答えています。
生活を立て直すために、成年後見人制度や介護サービスの利用など、ここには書ききれないほどの思い出がありますが、その中でも特に印象に残っているのが、引っ越しを決めた時のことです。ある日、自宅で膝を負傷し、その傷口からばい菌が入り、手術が必要になるほど悪化してしまいました。主治医からは不衛生な環境も原因の一つであるとの話があり、本人や病院の相談員と話し合った結果、引っ越しをすることになりました。アパート暮らしを強く希望されたので、買い物が比較的簡単にできて、病院にも行きやすい場所を探しました。引っ越しは、地域包括・トータスの職員総出で荷造りから荷ほどきまで手伝いました。何十年も住んでいた家だったので、荷物がかなりの量でしたが本人は新居へ引っ越すのを楽しみしており、まるで宝探しをしているかのように荷造りをしていたのが印象に残っています。入居の時には、新しい家具を組み立てたり、家具の配置を考えたりと大変なこともありましたが、楽しみなことばかりのAさんは満面の笑みで入居の日を迎えました。
次に印象に残っていることは、新しい生活を安全、安心して送れるように、介護保険を利用することになった時のことです。居宅介護支援事業所のケアマネジャーにお願いし、訪問看護師、ヘルパーが介入することになりました。本人は女性が大好きで、頭の中の世界では支援者に配役がされています。訪問看護師には“奥さん”、ヘルパーには“奥さん2”“お姉ちゃん”、ケアマネジャーには“おっかさん”、私は“娘”だそうです。その話をいつも楽しそうに病院の看護師にお話ししています。この配役が良かったのか、本人の引っ越し後の生活は劇的に落ち着きました。一番驚いたのは大好きでずっとやめられなかったお酒を退院後一切飲まなくなったことです。本人を含めての支援者会議の時に禁酒をすることが退院の条件にしていたのが良かったのかわかりませんが、それでも新居に入居してからは一滴もお酒は飲まなくなりました。「みんなの前でお酒をやめるって約束しちゃったからもう俺は飲まない。」と言って今でも飲んでいません。また、内服薬管理と体調の確認を訪問看護師が行い、最初はきちんと内服できていなかったのが、今では空の薬袋を捨てずにお薬カレンダーに戻すこと、毎日決められた時間の体重測定もできるようになりました。そして家事全般をヘルパーと一緒に行うことによって、物が増えることもなく、栄養バランスも考えられた手作り料理を食べることができるようになりました。買い物はヘルパーとお話をしながら歩いて出掛けるのがとても楽しいようで「この前知り合いに「奥さんと一緒に買い物ですか」って話しかけられちゃったよ。」と笑顔で何度も報告してくれます。
介護サービス以外にも、地域で支えてくださっている担当の民生委員さんは、定期的に自宅訪問し話し相手になってくださいます。天気の良い日には近所を案内がてら散歩し、たわいのない話をする時間は慣れ親しんだ地域から引っ越してきたAさんにとっては心安らぐ時間を過ごしているようです。
そしてずっとAさんが希望していたことが「働きたい」ということでした。ただ、介護サービスでは就労サービスはないため、そこでも頭を悩ませました。年齢や身体状況を考えると一般就労は難しく、65歳以上ではありましたが、何とか障害サービスの利用ができないかと中核地域生活支援センターへ相談したところ、障害者支援課に掛け合ってくれ、就労継続支援B型事業という工賃が発生するサービスが使えるようになり、送迎付きで本人の希望でもあった外での作業を職員や他のご利用者と一緒にできるようになりました。利用当初は電話を掛けて朝の準備が出来ているか確認していましたが、1週間も経過すると本人から電話があり「もう起きて準備万端、今日も頑張ってくるねー。」と報告をしてくださるようになりました。帰宅すると「今日はみんなでゴミ拾いに出掛けてね、みんないい人なんだよ、○○さんは話が面白くてね、楽しいよ。」と1日あった出来事を楽しそうにお話してくださいます。今では、月曜日から金曜日まで楽しく通うことが出来ています。
楽しいことや上手くいったこと以上に、頭を抱え悩み、なかなか先に進まないことのほうが多いですが、そんな時でも、Aさんの笑顔と人柄に救われたところがたくさんあります。支援者側が提案することや、お願いすることに一度も拒否することなく「いいよー。」と二つ返事で了承してくれ、一生懸命努力してくださいます。常に試行錯誤しているため、時には上手くいかないこともありますが、それでも怒ることなく一緒に次の道へ進んでくれます。Aさんの周りにはいつも人が集まり笑顔が絶えません。Aさんの人柄や頑張りがあるからこそ、色々な人に支えられて今の生活が継続できている部分も大きい気がしています。
ここに書いたことは全てではなく、今でもAさんとの歩みは続いています。Aさんと接して学んだことは、一人で抱えようとせずに周りの助けを借りて一人の方の生活を支えることが出来るということです。Aさんにとって地域包括・トータスはなんでも話ができ親しみある場所になったようで、毎日かけてくる電話の最後の言葉は「トータスのみんなも風邪ひかないようにねー。」で締めくくられます。
私はまだまだ経験が浅く、センター長はじめ先輩方に日々相談し助けてもらいながらこれからも精進していきたいと思います。
市原市包括支援センタートータス
佐藤 佳那
佐藤 佳那