クレイン・トータス新聞
トータス新聞1面記事
自分を変える為 そして様々な出会い
2020-09-01
介護職として働き始め、早いもので7年目となりました。まさかこんなにこの仕事を続けられるとは思ってもみませんでした。なぜなら私は、人と接触することが苦手だったからです。そんな性格の私ですから、選ぶ仕事は人とあまり関わることのない工場を転々とする日々でした。その頃は、自分の性格が嫌で嫌で仕方がなかったですね。なんとかしようとしてもなかなかうまくいかないものです。
そんなある時、転機が訪れました。
それは前職でもある観光業で働くことになったのがきっかけとなりました。今までの私なら人と接することがメインの観光の仕事など到底受け入れられることではありませんでした。
ですが、嫌いな自分との決別をするにはこのチャンスを逃すわけにはいかない!と奮い立たせて挑みました。主な仕事は、やはり観光案内です。慣れない仕事に加え、毎日、初対面の方を相手にするのはとても大変でした。でも、不思議と嫌ではなかったのです。所謂、ショック療法みたいなものだったのでしょうか?日に日に人と接することが楽しくなってきましたが、相反して仕事内容が増え、更に花火大会の運営に携わることになりました。これがまた大変で、役所関係や警察、警備会社との打ち合わせ。また、駐車場の確保の為に各所にお願いに回る等、まさに目が回る忙しさでした。この辺りになると楽しいと思うことだけではなく、辛く嫌だという気持ちも出てきましたが、投げ出すことはありませんでした。なぜなのかと考えたら、工場では基本、いつも同じことの繰り返しだったのですが、毎日違うこと、毎日違う人との出会いがあったのです。これは介護の仕事にも通ずるものがあると思っています。介護の仕事を知らない人からしたら、毎日同じことをしてるのではと思われてしまうかもしれませんが、そんなことはないのです。介護は工場のように機械を相手にしているのではないのですから。
花火大会を無事に終え、通常業務をこなしていた時、ふと、こんな考えが頭に浮かびました。
このまま観光の仕事を続けるのか、又は別の人と係わる仕事に就くのか?そんなある時、インターネットで介護の求人を見つけました。今まででしたら気に留めることなどなかったのでしょうが、この時は何故だかとても気になりました。もう、ここからの行動はとても速かったのを覚えています。介護とはどういう仕事なのか?どういう資格があるのか?すぐに調べていました。そして、当時の上司に介護の仕事がやりたいので辞めますと伝えたのです。
いよいよ介護職の道を歩む一歩を踏み出すことになりました。
介護初任者研修の講義を受け、平成26年7月にトータスに入職となりました。トータスでの初日は今でも鮮明に覚えており、介護の現場はこんなにも忙しいものなのかと衝撃を受けました。ご利用者のお顔とお名前を覚えることに始まり、食事や排泄、入浴介助等を教わりました。特に、食事介助は誤嚥のリスクがある為、細心の注意を払いました。また、オムツ交換は、なかなか上手く出来ず苦労しました。先輩職員が手際良くやっているのを見て、自分も早く上手になりたいと思い、必死になっていたのを思い出します。
3年が過ぎた頃、ステップアップする為に実務者研修を受け、介護福祉士の資格を取得しました。仕事を勉強をがむしゃらに頑張りました。
毎日忙しく大変ですが、自分自身、トータスで働くようになって更に笑顔になることが多くなったと思います。昔を思い返してみると、両親が共働きでしたので祖父母にとてもお世話になっていました。つまり、おじいちゃん、おばあちゃん子だったのです。それなら、毎日が楽しく感じても不思議ではありません。
皆さん知っていますか?笑顔って伝染するんですよ。現在、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっている為、なにかと暗い世の中ですから、少しだけでも良いので笑顔が広まれば良いなぁと思っています。
介護という職業を選んでいなければ、こんな自分に出会うことも出来なかったでしょう。
最後にトータスで妻と出会い、今年6月4日に待望の第一子となる元気な男の子と出会うことが出来ました。様々な出会いをくれたトータスに感謝し、これから更に!公私ともに日々精進していきたいと思います。
そんなある時、転機が訪れました。
それは前職でもある観光業で働くことになったのがきっかけとなりました。今までの私なら人と接することがメインの観光の仕事など到底受け入れられることではありませんでした。
ですが、嫌いな自分との決別をするにはこのチャンスを逃すわけにはいかない!と奮い立たせて挑みました。主な仕事は、やはり観光案内です。慣れない仕事に加え、毎日、初対面の方を相手にするのはとても大変でした。でも、不思議と嫌ではなかったのです。所謂、ショック療法みたいなものだったのでしょうか?日に日に人と接することが楽しくなってきましたが、相反して仕事内容が増え、更に花火大会の運営に携わることになりました。これがまた大変で、役所関係や警察、警備会社との打ち合わせ。また、駐車場の確保の為に各所にお願いに回る等、まさに目が回る忙しさでした。この辺りになると楽しいと思うことだけではなく、辛く嫌だという気持ちも出てきましたが、投げ出すことはありませんでした。なぜなのかと考えたら、工場では基本、いつも同じことの繰り返しだったのですが、毎日違うこと、毎日違う人との出会いがあったのです。これは介護の仕事にも通ずるものがあると思っています。介護の仕事を知らない人からしたら、毎日同じことをしてるのではと思われてしまうかもしれませんが、そんなことはないのです。介護は工場のように機械を相手にしているのではないのですから。
花火大会を無事に終え、通常業務をこなしていた時、ふと、こんな考えが頭に浮かびました。
このまま観光の仕事を続けるのか、又は別の人と係わる仕事に就くのか?そんなある時、インターネットで介護の求人を見つけました。今まででしたら気に留めることなどなかったのでしょうが、この時は何故だかとても気になりました。もう、ここからの行動はとても速かったのを覚えています。介護とはどういう仕事なのか?どういう資格があるのか?すぐに調べていました。そして、当時の上司に介護の仕事がやりたいので辞めますと伝えたのです。
いよいよ介護職の道を歩む一歩を踏み出すことになりました。
介護初任者研修の講義を受け、平成26年7月にトータスに入職となりました。トータスでの初日は今でも鮮明に覚えており、介護の現場はこんなにも忙しいものなのかと衝撃を受けました。ご利用者のお顔とお名前を覚えることに始まり、食事や排泄、入浴介助等を教わりました。特に、食事介助は誤嚥のリスクがある為、細心の注意を払いました。また、オムツ交換は、なかなか上手く出来ず苦労しました。先輩職員が手際良くやっているのを見て、自分も早く上手になりたいと思い、必死になっていたのを思い出します。
3年が過ぎた頃、ステップアップする為に実務者研修を受け、介護福祉士の資格を取得しました。仕事を勉強をがむしゃらに頑張りました。
毎日忙しく大変ですが、自分自身、トータスで働くようになって更に笑顔になることが多くなったと思います。昔を思い返してみると、両親が共働きでしたので祖父母にとてもお世話になっていました。つまり、おじいちゃん、おばあちゃん子だったのです。それなら、毎日が楽しく感じても不思議ではありません。
皆さん知っていますか?笑顔って伝染するんですよ。現在、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっている為、なにかと暗い世の中ですから、少しだけでも良いので笑顔が広まれば良いなぁと思っています。
介護という職業を選んでいなければ、こんな自分に出会うことも出来なかったでしょう。
最後にトータスで妻と出会い、今年6月4日に待望の第一子となる元気な男の子と出会うことが出来ました。様々な出会いをくれたトータスに感謝し、これから更に!公私ともに日々精進していきたいと思います。
北ホテル2F介護主任 木村 慶彦