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クレイン・トータス新聞

トータス新聞1面記事

鶴舞を思う

2023-01-01
新聞
 一昨年鶴舞の友人のお母さんが105才で亡くなった、コロナ禍の為ご家族だけで葬儀は執り行われた。
 後日お墓参りに伺ったが、お墓が鶴舞の隣町の長南だった。
 どうしてかなと不思議さを感じながらお参りをし、住職さんに訊ねた所、長南の幾つかのお寺には鶴舞城主井上様の沢山のご家臣が眠っておりますとの事、そう言えば友人湯川君の家系は鶴舞城主井上様の御殿医としてお仕えしていたと聞いた事があり納得した。友人も又医師として家督を継いでいる。
 鶴舞の歴史を全く知らなかった自分を反省し多分多くの人が知らないであろう鶴舞の生い立ちを少し書いてみたい。
 
 鶴舞城は、未完の城である。明治元年(1868年)新政府が樹立され、恭順した徳川慶喜が駿府に移ると、これに伴って徳川宗家を相続していた徳川家達も駿府70万石に移封と為った。これにより駿遠の幕臣大名は多くの配置換えと為り、浜松藩主井上河内守正直の上総転封により鶴舞藩が成立した。
 正直は鶴舞城の築城を開始したが、城が完成する前に廃藩置県となり、築城工事は中止され鶴舞藩庁と為った。
 現在残っているのは鶴舞小学校脇の本丸跡の土塁と井戸跡、そして南西側に残る大きなお堀跡位である。
 鶴舞と言うきらびやかな名前と築城までの経緯は以下の通りである。
 1868年(明治元年)9月浜松城主であった井上河内守正直は上総の国へ領地替えを命じられた。
 井上公は長南宿、今関勘四郎宅を仮本営とし、浄徳寺が官庁舎と為った。
 12月16日には領地引き渡しを経て、家臣たちも到着逗留し運照院に住まいを移した。
 到着早々、城の陣屋と藩士の家屋の適所として領地を調べ石川村の原野桐木原を領地とする事を決めた。明治2年3月には桐木原を開拓して陣屋作りが始められた。明治3年桐木原の土地が鶴の翼を広げている形に似ていた事から「鶴舞」と命名したと言われている。浜松藩主時代、藩の子弟の教育の為の藩校「克明館」も鶴舞に移した。克明館は現在の鶴舞小学校の前身である。明治3年4月鶴舞に陣屋の完成を見た原野は一変して城下町に変わった。珍しい出来事であった。そして版籍奉還により井上正直公は鶴舞藩知事と為った。正直公の在籍は大名時代の9ヶ月、廃藩置県で鶴舞県となり明治4年7月まで鶴舞県知事として2年10ヶ月の在籍であった。業績を辿れば井上公の行政手腕は、陣屋造りの土木工事に始まり、奥野、深沢村のトンネル、菊間藩を経て東京に通じる道、大多喜藩を経て安房国へ通じる道等を作り産業振興に藩政の重点を置いた。2年10ヶ月の鶴舞藩政で成果を出すには余りにも短すぎた。明治4年木更津県と為っても、一・六の市、銀行、高等女学校、郵便局、警察署、保険会社、製紙工場、等が残された。
 料亭、割烹、呉服屋等も有り人々が行き来する内陸の街道要所として発展していった。
 明治6年、千葉県に統合されても、7年には戸数627戸、人口3126人、千葉県内では8番目に大きい鶴舞町であった。
 その後、人口は年々減少していったが、千葉県と為ってから大多喜街道を走る「乗合自動車」が大正11年には、鶴舞経由、茂原、八幡、大多喜、の間に運行され人々の行き来は賑やかなものであった。
 又、大正天皇の鶴舞へのご行幸を記念して街道に植えられた桜並木は、開花期には町全体を華やかに包み近郷近在から沢山の人々が訪れ、沿道には露店が並び道路は肩をぶつけ合うような人でごった返した。
 この様に風光明媚な鶴舞には多くの芸術家が居を構え創作に励んだ。
 深沢幸雄氏(版画家)、松田正平氏(洋画家)、三好敏弘氏(鶴心会理事長、版画家。19才の時に日本版画協会の展覧会で賞を取り若くして版画協会会友に推挙された)。この若さでこの様な事例は無く朝日新聞等で天才児現ると大きく報道されたことを鮮明に思い出す。一時筆を置いたが奥様を亡くされてから一途に創作に励まれている姿を見ると嬉しさが込み上がる。
 また、浪曲師春日井梅鶯氏も沢山の弟子を抱え町中に浪曲を奏でるうなり声が聞こえた、懐かしい思い出が蘇る。
 竹中繁氏(東洋朝日新聞の初の女性記者)。昭和16年退職後鶴舞に移住、キリスト系の学校、現女子学園に学び外国人教師に鍛えられ英語を完璧にマスターする。御殿医の家系の湯川氏も竹中先生に英語を学び、中学時代に千葉県英語弁論大会で準優勝に輝いた。又竹中氏は、市川房江、平塚らいてう氏等と交友を重ね、新婦人協会等を創設し日本の女性の地位向上に多大な影響を及ぼした。竹中氏は昭和43年92才で亡くなったが、市川氏が鶴舞での葬儀と東京婦選会館での告別式を執り行った。
 髙石真五郎氏は、毎日新聞社社長、会長。昭和39年東京オリンピック、昭和47年札幌オリンピック時のⅠOC委員であった。
 岡田武夫氏は、日本キリスト教会東京大司教。東京大学法学部を卒業しキリスト教団体の日本のトップに昇りつめた。湯川氏の同期でもある。私もご縁を頂いたが、皆鶴舞輩出の方々で、湯川氏を除き鬼籍に入られている。
 こんな素晴らしい人達が生まれ、或いは育った鶴舞の昔と今には隔世の感が有る。そして現在三好氏をはじめ、鶴舞の凋落ぶりに頭を抱えている沢山の人が居る。3年足らずで鶴舞町を構築した井上公の業績を今一度振り返りながら、皆さんのお知恵を借り共に町の発展をと思いが募るのである。

社会福祉法人鶴心会 評議員
髙石 忠宏
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