クレイン・トータス新聞
トータス新聞1面記事
傘寿を迎えて(随想)
2024-07-01
もう幾つ寝るとお正月ではありませんが、何時の間にやらと言ってよいのか、八十路というその年が迫ってきました。確か12歳から13歳頃だったかと思いますが、自分は一体、幾つまで生きられるのだろうか。という訳も分らなぬような恐怖感にかられた時期がありました。
昭和30年前後の時代です。当時の平均寿命は恐らく60歳位だったのではと思います。80歳まで生きている人はごくごく稀だったと思います。その時代からすれば特別に選ばれた人になるのでしょうが、今はこの年齢にあっても平均寿命にも達せずということで、隔世の感です。人生は重い荷物を背負って坂道を登るが如しとの箴言がありますが、まさにこの年になりますと納得です。さらにこの先の人生坂は急坂になるのでしょうけれど、折角ここまで来たのだからと、憧景の入り混じった生存欲の一念かと思いますが、その景色を拝めればとてつもないラッキーでしょう。まあ、それは欲張りというもので、ここまでも十分に幸運です。
幸運のお陰で今もってトータスで在職させて頂いている訳であります。第2の人生はほぼトータスにおいて過ごしてきたので、故郷と同じような愛着を持っております。そこで何とか、この気持ちに見合う恩返しと思ってはおるのですが、気の方だけが先行して、果実としての結果を出せないのが現実でありまして、残された時間に限りがある訳ですが、せめて一隅だけでも照らせればと思う今日この頃です。息を続ける中で、これと言って一生打ち込む程の趣味や技能は持ち合わせておりませんで、あちら此ちらにチョッカイを出す位です。そんなこんだで、このところ晴耕雨読という程のことではありませんが、折りを見つけての行き当たりで、寸暇乱読を致しております。最近のものとしては、私より10歳程年輩の五木寛之さんとか養老孟司さんに目が向かいます。五木さんの作品は若い時の青春ものから近頃の老境の生き様を語った著作と、その道の大家的な方々との対談集など多岐に亘っております。中でもインド地方の人々の生き様と言いますか、人生観と言うのでしょうか。人生を4期に捉え、学問一途に励むべき期間の学生期、懸命に働いて家族を養うべき家住期、子育ても終わり家族との距離をおいての林住期、そして老境に入って晩年の遊行期と、作家がこの様な生き方を実践しているかどうか分かりませんが、色々な作品でしばしば紹介しております。現代の我々には可能かどうか、難問ですが、今の私にとって唯一可能性のある遊行期には興味を引かれるところですが、果たして決断は如何に。養老先生はミリオンセラーとなった壁シリーズと昆虫ものです。一見冷めた物言いのようにも取られるやも知れませんが、余計な事には振り向かず我が道を行く信念、スッキリとする作風です。お二人の作品や人格に共感するところは、流行や思潮に流されず、己流の生き方、考え方を矜持をもって、しかも従容自若の人生を歩み続けておられるところです。最近、感動したノンフィクション物語があります。中にはご覧になられた方もおられるのではと思いますが、フジテレビで放映された「私のママが決めたこと」というタイトルでありました。或る女性の安楽死なのか尊厳死というのか、そこに到るまでのストーリーです。こんなことが本当にあるのかという驚きと、現実なのかという思いで頭が混乱しそうになりながら、すさまじい感情の移入が生じてていました。物語のあらましは、二人の娘を持つ40歳代の母親がガンに侵され、自分の意思を持って死に行くまでのドキュメンタリーです。安楽死は我国では認められておりませんので、スイスにおいて今わの際を実行するのです。夫と同伴で死出への旅路へと付くのですが、娘達との成田空港での別れ、そしてスイスへ着いてからの最終メッセージ、最後の最後まで母親として、妻として凛とした気高い立居振る舞い、思わずもらい泣きせずには居られない数々の場面でした。それにしても何故この様な道を選択したのであろうかという点ですが、ガン細胞の脳への転移によって、狂乱しての変わり果てた姿をさらしたくないとの強い決意があったのです。たとえそうであっても、私には強烈な残像となった生命の終わり方に見えました。このこと一つをとっても、世の中すっかり景色が変わってまいりました。昭和の時代に熟した春秋を過ごしたアナログ人間には、この時代付いて行くのが精一杯でありますが、さらにもう一段、変色するであろう景色も、欲張りたい気がしないでもないのが、偽ざる心境やも知れません。すっかり気にまかせてを綴ってしまいましたが、終章として概括となりますが、トータスの現状について触れます。3年間に亘って猛威を奮い続けたコロナ感染症が今年に入り、漸く沈静化し、その緊張感から解放されつつありまして、このところやっと施設全体が落ち着きを取り戻したという状況です。
コロナ禍中にありましては、経営的に、また運営にも大きな影響を受けたところです。主要事業である入所サービスをはじめ各事業とも利用稼働率が押し並べて急激な低下をきたしました。その結果、当然のことながら収入面の落ち込みが酷くなり、それまでの黒字体質から赤字経営へと余儀なくされたところであります。このことが令和2年から5年度まで続き、それも年々悪化を辿りましたので一時は果たしてと杞憂したところであります。幸いにもここへ来てコロナもほぼ収まり、また落ち込んだ稼働率の引き上げ策を必死に工夫したことに依り、本年度は徐々に利用者もコロナ前の数値に戻りつつありますので、希望的観測にはなりますが、何とか赤字体質からの脱却が可能かと考えています。一方、運営面でありますが、やはりコロナ禍中は施設全体に拡大する恐れとなるクラスターを避けるため、徹底した予防態勢を執りました。この間、ご利用者をはじめご家族や外来者、そして職員には無理的なことと協力をお願いしたところでありますが、それでも職員および利用者の発症は度々出現しました。対症マニュアル等は備えてあったものの、当初は、テンヤワンヤの状態に落入った時もありました。また折りあしく、この時期に職員の退職や療休が続き、スタッフ不足が生じ、部署間応援などにより、やっと凌いだというのが実情であります。当時から今もって、どの業界も人手不足が深刻な問題となっておりますが、斯界においても同様というより最たる所とも思っております。職員の補充につきましては、色々な手段を通じ行っておりますが、邦人に限っては絶対数が不足しておりますので、厳しい状況が続くと思われます。そのような事から、令和5年度から外国人の採用に踏み切ったところ、年度後半におきまして、ベトナム人2名の入職が叶いました。更に本年度にはミャンマー人の方が3名程入職の運びとなっております。人材の確保は介護施設にとりましては存続問題となりかねませんので、常に鋭意取り組んでまいります。また入所者のこのところの傾向としましては90歳以上になられる高齢の方が一段と多くなっております。従いまして施設での看取りによって、亡くなられる方が年々的に増えております。前章で壮絶な安楽死について紹介させて頂きましたが、スイス人のターミナルケアのあり方やホスピスの寄り添い等々大いに心打たれるところありました。我が施設におきましても、ターミナルケアを含め全ゆるサービスに最善を尽くしていると思うものですが、現状に浸からず、さらに進化したサービス提供に資するため、日々の研鐟に励む所存です。併せて、地域の皆様とともにある施設として納涼祭等の行事をはじめ、日常的にも一層の交流を図りながら、地域の活性化に貢献出来ればと思う次第です。
特別養護老人ホームトータス
施設長 齋藤 武