クレイン・トータス新聞
トータス新聞1面記事
私の歩んだ道
2024-10-01
トータス新聞への掲載文を急に依頼され、何を書いたら良いか、悩みましたが、これまで自分が歩んで来た事を思い出しながら綴ることとしました。
現在、看護師として勤めていますが、看護の道に進むことになったのには、今は亡き父の一言でした。仕事をしていた父は「これからは女でも手に職をつけたほうが良いな」とポツリ呟いていました。その言葉に、自分がなれるか考えてもいませんでしたが、たまたま叔父から「鶴舞病院で看護学生を募集している」と話を持ってきてくれたのがきっかけとなりました。当時の病院は、千葉県立療養所鶴舞病院でした。一般診療もありましたが、中央廊下を通ると右側に一病棟から二病棟これが結核病棟でした。当時ははやり病として、入院患者さんが多かったんです。私も入職後、病棟に配属され、午前中に仕事、午後は学校へと通学していました。
看護学校を卒業した後も引き続き、鶴舞病院に就職し一般外科へと配属になり、先輩方の仕事ぶりを見ながら頑張りました。木造建ての外科病棟、楽しくもあり、厳しい時もありと色々な時が過ぎゆく日々の中で、病棟婦長さんとの出会いがありました。
現在、看護師として勤めていますが、看護の道に進むことになったのには、今は亡き父の一言でした。仕事をしていた父は「これからは女でも手に職をつけたほうが良いな」とポツリ呟いていました。その言葉に、自分がなれるか考えてもいませんでしたが、たまたま叔父から「鶴舞病院で看護学生を募集している」と話を持ってきてくれたのがきっかけとなりました。当時の病院は、千葉県立療養所鶴舞病院でした。一般診療もありましたが、中央廊下を通ると右側に一病棟から二病棟これが結核病棟でした。当時ははやり病として、入院患者さんが多かったんです。私も入職後、病棟に配属され、午前中に仕事、午後は学校へと通学していました。
看護学校を卒業した後も引き続き、鶴舞病院に就職し一般外科へと配属になり、先輩方の仕事ぶりを見ながら頑張りました。木造建ての外科病棟、楽しくもあり、厳しい時もありと色々な時が過ぎゆく日々の中で、病棟婦長さんとの出会いがありました。
病棟婦長さんはいつも元気で明るく、皆を和ませてくれる方でした。色々と指導して頂き、今、私がここにいるのもあの時の婦長のお陰と思っています。
昭和40年代に新しく4階建ての新館が出来、心肺センターが樹立しました。この頃より小児の心疾患患者が多くなり、当時は全国からと言って良い位のお子さんが来院していたように思えました。
今思うと若い頃は何も考えず毎日の仕事に追われて夢中で仕事をしていたと思います。ある時、私は婦長に愚痴を言ったことがありました。その時、「30代40代は一番体が動いて仕事が出来る年齢なんだから文句は言わない。」と言われた事が今でも忘れません。確かに今は動く事が若い時のようにはならないと実感しています。
年代も変わりつつ、心肺センターも新たに千葉県循環器病センターとして現在に至っております。昭和・平成・令和と移り変わり色々な事が思い出されます。看護師としての五十数年は良き思い出がいっぱいです。外来では毎年検診に来られた人たちが「今年も看護婦さんに会えましたね」と言われたことは私にとって何よりの嬉しい言葉かも知れません。ここまで続けてきて良かったと思う時でした。
話は少し変わりますが、仕事をしながら地元にあります「天台宗音信山光明寺」のお寺にて、平成十年おとずれの会と名付けて、約90名の会員さんと活動して来ました。
年一度総会を開き、年間事業など行っていました。毎年日帰り研修旅行やお寺の境内に舞台を作り、夕方より舞台の周りに輪を作り、楽しく踊ったりして一夜を過ごします。終わったあとは達成感があり、皆拍手で解散して帰って行きました。また、お寺では3年に一度、京都にあります比叡山の参拝があり私たちの会員さんも同行し楽しく行って来ました。早朝6時より根本中堂にてご先祖様の供養をしてもらい、終わると次の旅行先へ向かいます。比叡山の参道を歩いて山の中にあるお寺の修行を見学したりする事もあります。現在は根本中堂も5,6年前から改修工事を行っている為、しばらくは行っていませんが、新しくなった根本中堂を見学することが今の私の願いです。
私達の会もコロナの発生で会を進めることが出来ず、25年間の活動に令和5年3月をもって解散することにしました。
長い間、会員さん達にはすべての事に協力をしてもらったこと、私にとって人と人とのつながりの勉強をさせて頂いたと思っています。
令和4年3月に長いようで短かった千葉県循環器病センターを退職し、トータスにお世話になることになりました。退職前からパートで時々お世話になっていたので、皆さんのお顔が懐かしく思いました。そんな矢先、トータスに勤務して間もなく今まで何もなかったのに急に胆石症になり、手術を受けました。
その間、仕事にはご迷惑をかけてしまいました。退院後、未だに術後の筋力低下に悩まされていますが、頑張って皆さんと一緒に働いていきたいと思っています。
今まで私自身を考えてみれば、看護と言う仕事があったから人との出会いがあり、また、周りの人たちの支えがあったからこそ今日まで歩んで来れたのだと感謝の気持ちでいっぱいです。
話は少し変わりますが、仕事をしながら地元にあります「天台宗音信山光明寺」のお寺にて、平成十年おとずれの会と名付けて、約90名の会員さんと活動して来ました。
年一度総会を開き、年間事業など行っていました。毎年日帰り研修旅行やお寺の境内に舞台を作り、夕方より舞台の周りに輪を作り、楽しく踊ったりして一夜を過ごします。終わったあとは達成感があり、皆拍手で解散して帰って行きました。また、お寺では3年に一度、京都にあります比叡山の参拝があり私たちの会員さんも同行し楽しく行って来ました。早朝6時より根本中堂にてご先祖様の供養をしてもらい、終わると次の旅行先へ向かいます。比叡山の参道を歩いて山の中にあるお寺の修行を見学したりする事もあります。現在は根本中堂も5,6年前から改修工事を行っている為、しばらくは行っていませんが、新しくなった根本中堂を見学することが今の私の願いです。
私達の会もコロナの発生で会を進めることが出来ず、25年間の活動に令和5年3月をもって解散することにしました。
長い間、会員さん達にはすべての事に協力をしてもらったこと、私にとって人と人とのつながりの勉強をさせて頂いたと思っています。
令和4年3月に長いようで短かった千葉県循環器病センターを退職し、トータスにお世話になることになりました。退職前からパートで時々お世話になっていたので、皆さんのお顔が懐かしく思いました。そんな矢先、トータスに勤務して間もなく今まで何もなかったのに急に胆石症になり、手術を受けました。
その間、仕事にはご迷惑をかけてしまいました。退院後、未だに術後の筋力低下に悩まされていますが、頑張って皆さんと一緒に働いていきたいと思っています。
今まで私自身を考えてみれば、看護と言う仕事があったから人との出会いがあり、また、周りの人たちの支えがあったからこそ今日まで歩んで来れたのだと感謝の気持ちでいっぱいです。
看護師 白岩 秀子